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2015年02月28日 06:00  学び~社会

台湾の人は日本が大好き~いったい、どうして?(その2)

今日は、前回の続き。

『台湾の人は日本が大好き~いったい、どうして?』
http://rakuto-toyota.jp/e306624.html

1895年、下関条約によって、台湾が日本の領土となった。
当時の台湾は、中国から「化外の地(けがいのち)」と呼ばれている場所だ。

「化外の地」とは、「文化や文明のおよんでいない場所」という意味。
土地は整備されておらず、危険な病気がたくさん発生。
部族どうしの争いが多く、言葉もみんなばらばら。
とても、国とはいえない状況だったみたい。

もしも、みんなが日本の総理大臣だったら。
そんな台湾や、もともと台湾に住んでいる人をどうあつかう?
イギリスやアメリカが植民地に対してしたみたいに、力づくで自分のものにしちゃう?
それとも、もっとよい、別のやり方があるのかな?
ちょっと、想像してみてね。


・・・



この時、日本がとった政策が、「内地延長主義(ないちえんちょうしゅぎ)」といわれるもの。
これは、イギリスやアメリカなどの国々がとった政策とは、まったく反対のやりかただ。

イギリスやアメリカは、植民地となった国々から、力づくでいろいろなものをうばった。
それに対し、日本は「台湾も日本の国の一部だ」と考えたんだ。
つまり、台湾を、日本と同じようにあつかうことにした。

当時の台湾は、まだまだ未開の地。
ジャングルみたいに、まったく手つかずの森もたくさん。
よごれっぱなしのきたない場所がいっぱいあって、あぶない病気がいつもはやっている。

学校教育も、ほとんど行われていない。
部族どうしては、あらそいが絶えず、先ほど書いたように言葉すら統一されていない。
こんな状態だから、台湾を日本と同じようにするといっても、とても大変そうだ。


さて、ここで再び想像タイム。
もしも、日本の総理大臣だったら。

まずは、何から始める?
手つかずの森を開発して、人がすめるような、きれいな街にする?
それとも、部族どうしの争いをやめさせる?
もしくは、教育に力をいれる?
ちょっと、想像してみてね。


・・・


日本が最初に力を入れたのは、教育だ。

まずは、日本から、優秀な教育者を呼び寄せる。
そして、学校をたくさん建てる。
さらに、日本人と同じように、いろいろなことから学ぼうという意識を、台湾の人たちにうえつけた。

その結果どうなったかというと・・・
当時(1904年)、3.8パーセントしか学校に通っていなかった子どもたち。
1944年には、71.3パーセントの子どもたちが、学校に通うことができるようになった。

教育が行き届けば、いろいろな仕事ができるようになるし、国のくらしも豊かになる。
まずは、そこから始めたんだね。


次は、衛生(えいせい)をよくするところ。

当時、台湾では、アヘンというものがはやっていた。
これは、いわゆる麻薬(まやく)とよばれるもので、ヨーロッパの人たちが、アジアに持ち込んだものだ。
アヘンをすうと、頭がおかしな状態になって、病気みたいになってしまう。
アヘンがはやっているようでは、とても良い国は作れない。

そこで、当時台湾で政治の仕事をしていた後藤新平(ごとうしんぺい)は、がんばった。
台湾から、アヘンを根絶(こんぜつ)させたんだ。

さらに、たくさんの場所に、病院を建てた。
これによって、病気になる人が多かった台湾の人たちも元気になり、台湾の衛生の状態は、一気によくなった。


次は、インフラとよばれる、生活に必要な環境を整えること。

まずは、電気。
日本は、台湾に、とても大きな水力発電所を作った。
これにより、台湾中で、電気が使えるようになった。
このダムは、今でも台湾で活躍しているんだって。

さらに、川に大きなダムを作った。
当時、台湾の農業は、川の洪水や、雨が少なすぎて作物が育たない、干害(かんがい)とよばれる災害に苦しんでいた。
そこで、川の上流にダムを作って、川の水の量を、調整できるようにした。

これにより、台湾の農業は、一気に好転。
台湾は、お米や野菜がたくさんとれる地域に生まれ変わった。


台湾が日本の一部だった1895年から、1945年まで。
この間、日本人と台湾人はお互いしっかりと手をつなぎ、台湾をよりよい場所にするためにみんなでがんばったんだね。
そのおかげもあって、台湾はとても住みやすい、すばらしい場所になったんだ。

こうした歴史があるからこそ、台湾の人たちは、日本に親しみを感じてくれているんだね。
日本を好きでいてくれる台湾の人たちに、感謝。
そして、その土台を作ってくれた、むかしの日本人たちにも感謝だね。


写真は、原敬(はらたかし)。ウィキペディアより。
当時、日本にあって、台湾の「内地延長主義」をうったえた政治家だ。

台湾の人は日本が大好き~いったい、どうして?(その2)




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