クリミア橋開通~クリミアって、どんな場所?(その2)

RAKUTO豊田校

2018年05月18日 06:00

『「クリミア橋」開通 式典にプーチン氏』 朝日新聞

ヨーロッパのウクライナという国の南に方に、クリミア半島という半島がある。
クリミア半島から、東へ海をわたると、ロシアのクラスノダール地方だ。

今年2018年5月。
クリミア半島とロシアを結ぶ、長い橋が完成した。
クリミア橋だ。

5月15日には、橋の開通を記念した式典が行われ、ロシアの大統領プーチンさんが出席した。
橋を作るのにかかったお金は、およそ4000億円。
そのお金は、ウクライナではなく、ロシアが負担したんだって。

橋の長さは、およそ19キロメートル。
自動車と電車がならんで走ることができる。

こんなすごい橋なんだけど、他の国からは、いろいろと文句を言われているらしい。
いったい、どうして?

ここからは、4年前の記事で、クリミアについて復習しよう。
今回は、その第二弾。

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今回は、前回の続き。

『クリミア橋開通~クリミアって、どんな場所?』
http://rakuto-toyota.jp/e444816.html


1850年ころ、戦争でたくさんの血を流しながら、なんとかクリミア半島を手に入れたロシア。


時がたって、1922年。
ロシアでは革命がおこり、国が大きく姿を変える。

新しくできた国は、ソビエト連邦(れんぽう)。
ロシアやウクライナ、ベラルーシなど、いくつかの国が集まってできた、大きな大きな国だ。


最初にソビエト連邦のトップにたったのは、レーニンさん。
その後、スターリンさんがトップにたち、3代目がフルシチョフさん。

フルシチョフさんは、ロシアではなくウクライナ出身。
せっかくトップにたったのだから、ふるさとウクライナのみんなによい顔をしたい。

そこで、当時ロシアの領土だったクリミア半島を、ウクライナの領土に変えてしまった。

この時代、ロシアもウクライナも、ソビエト連邦という大きな国。
ソビエト連邦としては、クリミア半島がロシアだろうがウクライナだろうが関係ない。

日本でいえば、渥美半島を愛知県から静岡県にかえるとか、そんな感じ。

だから、フルシチョフさん、気楽にクリミア半島をウクライナにかえちゃった。


ところが・・・。

時は流れて、1991年。
ソビエト連邦で、クーデターが発生。

もともとたくさんの国が集まってできた大きな国が、ばらばらになってしまった。

ロシアやウクライナ、ベラルーシなど、ソビエト連邦をかたちづくっていた国は、それぞれ別の国になったんだ。

当然、ロシアとウクライナも、別の国。
となると、クリミア半島はどうなるの?


・・・


もともとロシアのものだったクリミア半島。
フルシチョフさんが、気軽にウクライナのものにしてしまった。

ロシアとウクライナが別々の国になった今。
クリミア半島は、いちおうウクライナのもの。

しかし、ロシアとしては、なっとくがいかない。
そこで、国同士で話し合いを行った。

その結果。

クリミア半島はウクライナのもの。
でも、ロシアの軍隊がいてもOK。

また、ロシア人がたくさん住んでいるクリミアの街は、クリミア自治共和国(じちきょうわこく)として、ロシア人が運営できる国とする。

・・・ということになった。


以来、ウクライナとロシアは、仲良しコンビ。
ずっと、仲良くやってきた。


ところが、今年、2014年。
またもや、事件が発生。
今度は、ウクライナで、デモが発生した。

政治がかわり、ロシアと仲良くするのをやめて、ヨーロッパの国と仲良くしようと決まってしまった。
もう、ロシアとは、仲良くしない。

こまったのは、ロシア人が多いクリミアの人たち。
彼らは、ウクライナから独立して、ロシアに助けをもとめた。

ロシアにしてみれば、クリミアはもともと自分のもの。
だから、ロシアはクリミアに軍隊を入れ、クリミアの人たちもそれを大かんげい。


一方で、ウクライナとしては、自分の国の一部をロシアにとられてしまうことになる。
困ったウクライナは、ヨーロッパやアメリカに助けを求めて、ロシアに対抗。


そして今。

ロシアとウクライナ・ヨーロッパ・アメリカ連合が、クリミアをめぐって大げんかをしているというわけだ。

今の時点では、どんな決着になるのかわからないけど、戦争にだけはなってほしくない。
なんとか、話し合いで決着してほしいね。


写真は、グーグルアースで見るクリミア橋。長い!




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